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2012年3月28日水曜日

発明アイデア

引越しをすることになった。
引越し先も仮の住まいになるので、できるだけ家具も引越ししやすいものにしたい。

整理しても本は、結構な量があるので、なかなか面倒だ。

そのまま引越しできる本棚とタンスがあったら結構売れそうな気がする。
これを機会に強化ダンボールをつかって商品化できるものが作れないか試作してみよう。

生命の認識

p7
すでに古代ギリシアの偉大な弁証法家ヘラクレイトスと、その跡をついだアリストテレスは「起源と発展を知るとき、はじめて物の本質を知ることができる」といっている。この言葉のきわめて深い意味は生命の認識においても全く同じである。
{山本光雄訳編、初期ギリシア哲学者断片集 岩波書店}

2012年3月16日金曜日

文化の壁

p133

今では、土人のことを冷ややかに語る人たちもかつては、理想家としてアフリカに渡来したのであるが、日々の葛藤に疲れ、勇気を失い、精神的所有を次第に失ったことを考えて不安に覚えて以来、私にはもうさばく勇気がなくなった。
人間的な真実の人格と、それによる文化人たる能力を守るのがここでは、非常に困難であることは、原生林に見る黒白両人種の問題中の大きな悲劇である。

p114
われわれは、みな黒人の怠惰に憤慨するが、実はわれわれのところで、もうけることを彼らが頼みにしていないから、彼らがわれわれの手に入らないだけのことである。
それゆえ、自然児が自由人である事実と、商業上の必要との間には恐るべき矛盾がある。黒人が興味を持たないばかりに、土地の有する富を利用しつくすことができない。どうやって彼らを教育するか?どうやってかれらに労働を強いるか?
ー略ー
(そのために”税金をかける。布地、道具のような必需品、たばこ、化粧品のような無用のもの、酒精のような有害なものまで、黒人の前に見せて欲望をおこさせる”ということがおこなわれていることについて)
課税と欲望を増させることによって、しないよりはたしかに土人を働かせられるけれども、これによって労働を真に教え込むことは不可能であるか、あってもきわめてわずかにすぎない。土人はこれによって利欲に強くなり、快楽を好むようになるが、信用できる正直なものとはならない。

関連→差異の消費

p135
われわれは多くの土人たちが、自分達に愛の福音を説く白人達がいまやたがいに殺しあい、そのために主イエスの戒を踏みにじっているなどとはほんとうであろうかと、心に疑っていることをみな感じている。彼らからその疑問を尋ねられると、われわれは途方に暮れる。

p147
オゴウェ河畔からヨーロッパへ兵役の義務を果たすために行った白人の中にもう10名戦死したということがこのごろここに伝わった。これらが土人たちに深い印象を与えた。「もう10人今度の戦争で死んだのか!」「なぜこれらの種族がみな集まって談判しあわないのか?どうやってこれらの死者にすべてを償いうるのか」

p159
宣教師には、深い教養が必要であろうか?そうである。人は霊的生活と霊的興味とが深ければ深いほど、アフリカには耐えられる。そうでないと、ここでいう「黒人化」の危険におちいりやすい。それは大きな着眼点を見失い、精神の緊張を破られ、ほとんど黒人と同じように小事に拘泥し論争
を始めることである。

関連→フランクル 夜と霧 強い体を持つものより、教養のあるものの方が精神を保ち過酷な状況に耐えうることについて
メモ)今から見るとかなり差別的。この本にはそういったところが結構ある。それでも白人を上に見る時代背景の中では、かなり公平に見ている。


p167
有色人種が数世紀にわたってヨーロッパ人から受けた不正と残忍とを誰が記録できるか?われわれがもたらした火酒と忌まわしい疫病とが、有色人種の間に生んだ不幸を誰があえて測りえようか!
黒白両人種間におこった一切の歴史が一書にあまれるとしたならば、昔のも今のも、内容のあまりの残酷さに読まずにめくらざるをえないページがたくさんあることであろう。
われわれも、われわれの文化も、一つの大きな責任を負っている。われわれはかの地の人々に善を行いたいとか、おこないたくないとかの自由をまったくもたない。おこなわなければならないのである。われわれが彼らに善を行うのは慈善ではなくつぐないである。




会話

会話をかわしてみて思慮深くて感じがよいと思われる人が、これほど寥々たる有様になっているのは、ひとつには、言われたことにきちんと返事することより自分の言いたいことばかりを考える人でない人が、ほとんどいないためである。最も頭がよく、最も愛想のよい連中でも、熱心に聞いている顔をして見せるだけで事足れりとするのだが、その時彼らの目つきや頭の中にある、こちらの言うことに対する上の空の気持ちと、自分の言いたいことに話を戻したがっている焦燥が、ありあり見てとれるのである。そんなふうに自分を喜ばせることばかり求めるのは、他人を喜ばせ、もしくは説得するためには拙策であり、よく聞きよく答えることこそ人が会話の中に見出し得る最大の妙味の一つであることを、彼らは考えようとしないのである。

ラ・ロシュフコー箴言集

http://www5.plala.or.jp/navy/index3.html

ワークショップ

ワークショップの目的は評価し選び出すことではない。ともにプロセスを共有することで、つくり手自らが自分の判断基準を持てるようになることを理想としている。

http://www.afutafu-barban.org/program/machicm.html