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2014年3月28日金曜日

科学的な問いとは「why」

世界を、こんなふうにみてごらん 日高敏隆

P18
東京大学の理学部に入って、その話をすると「なぜ」を問うてはいけないと言われた。
なぜいけないのですかと聞き返したら、「なぜ」を問うことはカミサマが出てくる話になってしまう。How(どのように)は聞いて良いが、why(なぜ)を聞いてはいけないと言われ、そのことを疑問に思った。
だが少なくとも生物の場合は、「なぜ」を問わないと学問にならないのではないかと思った。かなり厳しくそう思った。

読書メモ フロム

自由からの逃走 エーリッヒ・フロム

p40
服従が不安を回避する唯一の方法ではない。もう一つ、解きがたい矛盾をさける唯一の生産的な方法がある。すなわち人間や自然に対する自発的な関係である。それは個性を放棄することなしに、個人を世界に結びつける関係である。この種の関係-その最もはっきりしたあらわれは、愛情と生産的な仕事である-は全人格の統一と力強さに基づいている。それゆえそれは自我がどこまで成長するかの限界によって左右されるだけである。

愛するということ エーリッヒ・フロム
p12
たいていの人は愛の問題を、愛するという問題、愛する能力の問題としてではなく、愛されるという問題として捉えている。つまり、人びとにとって重要なのは、どうすれば愛されるか、どうすれば愛される人間になれるか、ということなのだ。

p17
愛することをやめることが出来ない以上、愛の失敗を克服する適切な方法は一つしかない。失敗の原因を調べ、そこからすすんで愛の意味を学ぶことである。
 そのための第一歩は、生きることが技術であるのと同じく、愛は技術であると知ることである。

p18
技術を習得する過程は、便宜的に二つの部分に分けることが出来る。一つは理論に精通すること、今一つは、その習練にはげむことである。
_人生_

p23
人間は、自分自身を知っている生命である。人間は自分を、仲間を、自分の過去を、そして未来の可能性を意識している。そう、人間はたえず意識している-人は一つの独立した存在であり、人生は短い。人は自分の意志とかかわりなく生まれ、自分の意志に反してしんでいく。


人間の、統一の無い孤立した生活は、堪え難い牢獄と化す。この牢獄から抜け出して、外界にいるほかの人びととなんらかの形で接触しないかぎり、人は発狂してしまうだろう。
孤立しているということは、他の一切から切り離され、自分の人間としての能力を発揮できないということである。

p33
現代の資本主義社会では、平等の意味は変わってきている。今日、平等といえばそれは、ロボットの、すなわち個性を失った人間の平等である。現代では平等は「一体」ではなく「同一」を意味する。
_平等_
_人間_
_愛_
_孤独_


p27
人類がそうした原初的な絆から抜け出すにつれ、それだけ自然界から分離し孤立感から逃れる新しい方法を見つけだしたいという欲求がつよくなる。
そうした欲求を達成する一つの方法が、ありとあらゆる種類の祝祭的興奮状態である。いわばお祭りの乱痴気騒ぎのようなものだ。

_祝祭的興奮状態_
p29
過去においても現在においても、人間が孤立感を克服する解決法としてこれまでで、もっとも頻繁に選んできた合一の形態は、集団、慣習、信仰への同調にもとづいた合一である。

_同調_
ナショナリズム、イデオロギー

この解決方法はおもに精神にとって効果的で、肉体的にはあまり効果的でないので、この点でも祝祭的興奮状態にくらべると不十分である。

p36
誕生から死まで、日曜から土曜まで、朝から晩まで、すべての活動が型にはめられ、あらかじめ決められている。このように型にはまった活動に囚われた人間が、自分が人間であること、唯一無二の個人であること、たった一度だけ生きるチャンスをあたえられたということ、希望もあれば失望もあり、悲しみや恐れ、愛への憧れや、無と孤立の恐怖もあること、を忘れずにいられるだろうか。

一体感を得る第三の方法は、創造的体験である。それには芸術的なものもあれば、職人的なものもある。

_仕事__労働__創造_

どんなタイプの創造活動においても、働くものとその対象は一体となり、人間は創造の過程で世界と一体化する。ただし、このことがあてはまるのは、生産的な仕事、すなわち私が計画し、生産し、自分の目で仕事の結果をみるような仕事のみである。

_人間疎外_
終わりの無いベルトコンベアーの上に労働者が乗っているような、現代の労働のしくみには、このような仕事の対象との一体感はほとんど見られない。
労働者は機械や会社組織の付録になっている。彼はもはや本来の彼ではない。そのため同調以上の一体感はけっしてえられない。

生産的活動で得られる一体感は、人間同士の一体感ではない。祝祭的な融合から得られる一体感は一時的である。集団への同調によって得られる一体感は偽りの一体感にすぎない。完全な答えは、人間同士の一体化、他者との融合、すなわち愛にある。
この世に愛がなければ、人類は一日たりとも生き延びることはできない。