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2012年2月21日火曜日

本能

p81 だがまさに攻撃衝動は、本来は種を保つれっきとした本能であるからこそ危険きわまりないのである。つまり本能と言うものは自発的なものだからだ。もし攻撃本能が、多くの社会学者や心理学者が考えたように、一定の外的条件に対する反応にすぎないのであれば、人類の現状はこれほど危うくなりはしなかっただろう。もしそうなら、反応を引き起こす諸原因をつきとめて、取り除くこともできよう。

関連 行動主義 ワトソンのS−R理論

p86
行動を解き放つ刺激もかなり長い期間にわたって断つと、現れるはずの本能運動が「せきとめ」られる結果、さきほどのように反応しやすくなる。
そればかりではない。その結果ははるかに深刻な経過をたどり生物体全体を巻き添えにしてゆく。
原則として、本能行動から今のようなやり方で沈静の可能性を取り上げてしまうと、それが真の本能運動であれば必ず、動物は全体として不安に陥り、その本能運動を解き放つ刺激を探し求めるようになるという性質をもっている。



 

儀式と法

p120
もし習慣となったことが今述べたように固定化し自立化しないなら、
もしそれが神聖な自己目的に高められていないなら、信頼できる伝達もなく、信頼に値する了解もなく、誠実もなく、法律もないだろう。もし約束を結ぶ相手が、儀式となった犯しがたい習慣の土台を自分と共有していなければ、誓いは立てられず、条約は効力をもたないだろう。この習慣を破れば、その人は、私の小さなマルティーナ<ハイイロガン>があのとき玄関の五段目で襲われたあの不思議な破滅的な不安に襲われることだろう。





攻撃性と敵

p357
人類は、お互いに敵対するいくつもの党派に分離してしまっているから闘争好きで攻撃的なのではなく、それが社会的攻撃性を消散させるのに必要な刺激状態を作り出しているからこそ、党派に分裂しているのだ。

関連  わが闘争、デュルケーム


扇動





p356
だが、そのような反応の盲目的反射に身をまかせてしまうような人は、人類にとって危険な存在である。なぜならそういう人間は、ちょうど私たち行動生理学者が実験動物でやるように、人間に闘争をかきたてる刺激状況を作り出すからくりを実に巧みに心得た扇動家の手中にやすやす陥ってしまうからだ。



関連 独裁者→我が闘争愛と憎しみ

2012年2月20日月曜日

個人的きずな



個人的きずな
p220

個体として知っている仲間から発せられたすべての刺激になれるということは、個人的きずなが形成されるための紛れもない前提であろうし、おそらく社会的行動の進化におけるその前駆でもあるだろう。

関連 きずな→社会分業論、愛と憎しみ




種内淘汰

p67 [セイロンの翼]
その翼は非常に大きいから、雄はほとんど飛べないくらいである。しかも翼が大きければ大きいほど雌は激しく興奮する。

p69
私の先生だったオスカール・ハインロートは、じょうだんめかしてこういうのがつねだった。「セイランの翼と並んで、西欧の文明人の仕事のテンポは、種内淘汰の最も愚劣な産物だよ」
=略=
今日の人間は、マネージャー病、動脈の高血圧、真性萎縮腎、胃潰瘍をわずらい、神経症に悩まされ、文化に関心を払う暇がないから堕落して野蛮になる。こんなことはみな不要だろうに。というのもかれらはこれからはもっとゆっくり仕事をするよう協定を結ぶことがちゃんとできるだろうからだ。


種内闘争

p52

たしかに種内闘争ということは、人類が現在置かれている文化と技術の史的状況のもとでは、あらゆる危険のなかで最も重大な危険だと見なしていい。
だがその危険を防ぐには、種内闘争を形而上学的なこと、回避できないこととみるのでは決してなく、その一連の要因を追及することによって道が開かれるように思う。
人間が、ある自然の現象を自分の意図する方向へあやつるのに成功した場合をみると、つねにその力はそれを引き起こす一連の要因を見抜くことによって得られたのだった。



近縁の闘争
 
p42
だが実は、ダーウィンの考えた進化を推し進める「闘争」というのは、なによりもまず、近縁な仲間どうしの競争のことなのだ。