このブログを検索

2013年8月23日金曜日

33回忌

先日、祖父の33回忌の法事があった。

祖父とは同居しておらず、小学校に上がる前に亡くなったので、淡い印象しかない。
ときどき家の隣で畑仕事をしていたのを覚えている。

その、法事の席で叔母から生前の祖父のことを色々聞くことができた。

もともと、祖父が海軍にいたのは、戦争が始まる前で、退役したあと終戦の前年になって45歳で赤紙が届いたそうだ。

そこで意外だったのは、祖父が特攻隊員であったということだ。
下宿先の方の配慮で、最後のお別れができるようにしてもらい、横須賀まで、家族そろって会いに行ったそうだ。父は当時1歳のため当然記憶はなく、そういった事も知らなかったようだ。

横須賀で特攻ということで調べてみると、伏龍という特攻兵器の部隊があったようだ。

伏龍は潜水服をきて、海底にもぐり、棒の先につけた爆薬を敵の船底にぶつけ爆発させるという特攻兵器だ。

本土決戦で上陸しようと港に来る船を海底から爆薬のついた竹やりのような棒で突くという、今から考えると嘘のような作戦だ。
周りが見えないため、あらかじめ海底に引いたロープに沿ってしか動けず、もし敵の砲撃があったら衝撃波で海底にいる部隊まるごと爆発してしまう、また運よく船にあてることができても、同じく近くの人が爆発してしまうというかなり不完全な兵器だったようだ。

本土決戦はなく終戦を迎えたため、実戦には使われなかったが、訓練中の事故で多くの兵士が亡くなっている。

死と隣り合わせの厳しい訓練の中で、家族を残したまま死ぬことをどう受け入れていたのだろうか。

幸い祖父は生きて帰ることはできたが、10カ月ぶりに帰ってきたときは、妻と子供2人が亡くなっていた。
生前祖父は戦争のことは、何も話さなかったそうだ。
穏やかそうな面影と、その体験の重さ

今の時代の中にも、その重さを抱えている多くの人がいるのだろう。



人間機雷「伏龍」特攻隊








0 件のコメント:

コメントを投稿