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2012年1月28日土曜日

良心の放棄

現代思想の冒険者たち14 ポパー


ひとは自らの知的良心をいったん何かに捧げてしまうと、自らの誤りを認めようとはしなくなる。誤りを認めることよりも自らの知性、あるいは道徳的良心を犠牲にしてまでも、良心を捧げた「信条」を擁護しようとする。したがって、いさぎよくみずからの誤りを認めることができない限り、ますます自己の良心を犠牲にしていくことになる。しかしそれは、当事者本人にとっては忠誠心の証なのである。


関連 捧げる→カラマーゾフの兄弟


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