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2012年1月23日月曜日

孤独な群衆 教育

p5
「どのような社会でも、それがうまく機能するためには、その成員が、その社会、あるいはその社会の中での特定の階層の一員としてなすべき行為をしたくなるような性格を身につけていなければならない。彼らは客観的に見て、彼らに必要なことを、欲しなければならぬ。すなわち、外的な力は、内的な強迫に転化され、また、人間の特殊なエネルギーによって、それは性格の特性となるのである。」
E.フロム
"Individual and Social Orgins of Neurosis," American Sociological Rociological Review,IX(1944),Culture(NewYork,Alfred A. konopf,1948)に再録.

p13
一次的集団−すなわち、子どもたちを社会化し、かつその初期経験によって大人たちをも規制する諸集団−の規制がゆるむにしたがって、より開かれた社会に適合するような、新しい心理的メカニズムが「発明」される。
関連 社会化、学校が社会のあり方を規定する
p40
そこでは他人から認められるということが、その内容とは一切かかわりなしに、ほとんど唯一絶対な善と同義になってくる。すなわち自分が認められたということは、自分がいいことをしたということに他ならないのだ。このようなわけで、他人指向段階の社会ではあらゆる権力 −ある種の権力というだけではない− は人間を認めてくれる、現実のあるいは想像上の集団の手中に収められている。そして、子供は、自分の性格とか、自分の財産とか、自分が受け継いだ家名とか、才能とか、あるいは自分がした仕事とかは、それ自身として評価されるものではなくて、それらが他人とのかかわり合いにおいてどのような効果をもったかで計られるのだ。ということを両親のかれらに対する反応から学びとるのである。
関連 評価 ニーチェ オウム


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