このブログを検索

2012年1月31日火曜日

創造的進化

p56
創造というものは要素の総合と解されねばならぬものであろうか。要素が先在するところでは、それから作られる総合はいくつかの可能な配列の一つに過ぎぬから潜在的にすでに興えられている。
=略=
私の考えによると、生命の領域では要素は独立した事象としては存在しない。要素はある不可分な過程を精神からみた幾重もの眺めである。

関連 一般システム思考入門 システムとは物のみかた
社会分業論

p60
機械的な説明が成り立つのは、私たちの思考が人工的に全体から切り取る系に対してである。けれども全体そのもの、また全体の中でおのづから全体に似てできている系になると、それらを機械的に説明する可能性はアプリオリにみとめるわけにはゆかない。
関連 フラクタル、ローレンツ鏡の背面 切り取る

p62
目的論は私たちを案内するつもりで灯を私たちの背後におかないで前にかざす。
目的論は未来の牽引力で過去の推進力に置き換えるのである。しかしそうしたところで、悟性の歩みそのものがもともとそうであるように、継起はやはりただの見せかけにすぎない。
関連 進化論
p64
生物はいずれも自分自身のために作られており、そのあらゆる部分は全体の最大善のために共同し、この目的にむかって悟性でもって有機的に組織されている。
関連 経済学者の一考察

p68
思い切った目的論の誤りは、思い切った機械論ももとよりそうなのであるが、私たちの悟性に自然なある種の諸概念をあまりに広く適用し過ぎるところにある。


0 件のコメント:

コメントを投稿